What Do We Pay for Civilized Society?

税法を勉強している藤間大順のBlogです。業績として発表したものについて書いたり,気になったニュースについて書いたり。概ね1回/月の更新を目標としています。

コロナウイルスの問題から税法を考える① あなたは所得税を納めていますか?

はじめに(この企画の趣旨など)

 今回から,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大の問題から税法を考える記事を書きたいと思う。次に書きたい素材は決まっているのだけれど,書く時期は決めていないし,その後の素材はまだ考えていない。もしかしたら今回で終わりかもしれないので,番号は付さずにおく(次の記事が書けたら番号をつけるかもしれない)。
 記事の趣旨としては,COVID-19の問題で何か税制が劇的な変動を受けるだろうとか,どう変革すべきかとか,そういう関心で書くのではない。どちらかというと,税法に関する一般的な議論を,この問題を素材に書いてみよう,という,そういう関心で書く。

素材にしたいこと:休校対応助成金の適格性について

 コロナウイルスによる経済の停滞によって所得が減少した者に,休業補償を行う動きがある。本日行われた小池百合子都知事の下記の会見でも,休業補償について言及があった。

www.youtube.com

 一般的ないわゆる休業補償や損失補填に政府は消極的なようだが,既に導入された措置として,小学校等に通う子供が休校したことにより仕事が減少したフリーランスの保護者に対する助成金制度がある*1

www.mhlw.go.jp

 この制度だが,当初,対象とするフリーランスの業種について一定の制限を設けていることが話題となり,議論となった(結果として業種の制限は無くなった)。その際,以下の意見があった旨報道されている(下線は藤間)。

 ずいぶんもの分かりよすぎる政権だという気がする。ソースがどこまで信用できるかは不明だが、ある記事で、風俗嬢が確定申告している割合は1%以下というものを目にした。休業補償は当然税金から捻出されるものであり、納税をしていない人間が対象になるのは納得できない

【襲来!新型コロナウイルス】ホステスや風俗嬢にも「休業補償」ってアリか? 「職業で差別するな!」「税金納めてないからダメ!」と大激論: J-CAST 会社ウォッチ

 上記の下線を付した,「確定申告で納税をしていない人間は休業補償の対象となるべきではない」という見解,もう少し一般化すれば,「所得税の納税は行政サービスを受ける資格の対価である」という言説の当否を今回の素材としたい。

納税は行政サービスの受給資格の対価か?

 上記のような言説は,今回の騒動が初出ではない。むしろ,何か危機が起きた際には,しばしば湧いてくる言説だと言って良い。例えば,昨年の台風19号による被害に際して,台東区がいわゆるホームレスの方を避難所で受け入れ拒否した際に,同様の言説があった旨下記のように報道されている*2。このような言説は,私は妥当ではないと考えている。以下にその理由を述べる。

news.livedoor.com

租税は何の対価でもないと最高裁は言っている

 税とは何だろう。答えは人によって違うだろう。ただ,ある程度一般的な定義として,最高裁判決では以下のように述べられている(下線は藤間)。

 国又は地方公共団体が,課税権に基づき,その経費に充てるための資金を調達する目的をもって,特別の給付に対する反対給付としてでなく,一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は,その形式のいかんにかかわらず,憲法84条に規定する租税に当たる
(旭川国民健康保険料事件上告審判決(最判平成18年3月1日民集60巻2号587頁*3))

 上記の下線を付した部分で述べられるとおり,租税は,特別の給付に対する反対給付ではないという性質,すなわち非対価性を持つとしばしば説明される*4
 上記の意義に照らせば,行政サービスを受ける資格の対価として租税を捉える見方は妥当ではない,と論じることができるように思われる。
 もっとも,最高裁判所の言うことなんて知らんよ,という人もいるかもしれない。租税を行政サービスの対価として捉えたら何が困るのだろう。以下では,実際にどのような弊害が生じるのか,考えてみたい。

都営地下鉄が停まってしまう

 租税は行政サービスの対価である,または対価でありうるとしよう*5。そうすると,租税の意義が広がり,これまで租税とは考えて来られなかったようなものが租税に含まれてくる。その一例が,都営地下鉄の運賃である。
 都営地下鉄の運賃を租税だと捉える人はあまりいないだろう。ただ,上記の最高裁が言っている定義からすると,対価ではない,というところを抜きにしてしまうと,かなり当てはまってしまう。国家が課すものではないが,地方公共団体が課すものではある。課税権に基づくものかどうかは微妙だが(とはいえ,「税とは課税権に基づくものである」はなかなかなトートロジーである),都営地下鉄の維持などの経費に充てるための資金を調達する目的をもっているし,乗客という一定の要件に該当するすべての者に課されるし,金銭給付でもある(大根で運賃を支払いたいと言っても,券売機に大根は入らないだろう)。租税に該当する,という意見が説得力を持ってきてしまう。
 そうすると,どうなるか。おそらく,今の都営地下鉄の運賃の決め方は憲法違反になろう。なぜなら,都営地下鉄の運賃は,条例レベルでは範囲しか定めておらず(東京都地下高速電車条例(昭和35年条例第94号)3条),管理者にその範囲内で運賃を決めることが認められているからである。仮に租税であったら,このような定めは租税法律主義(憲法84条)または地方税条例主義に違反するものとして,許されないだろう。少なくとも,金額の範囲だけ決めて後は執行に任せている租税など,日本にはおそらく存在しない。
 つまり,租税が対価性を持つまたは持ちうるものだと捉えると,都営地下鉄の運賃の定めが憲法に違反してしまうように思われる。そうなったら,運賃を払ってもらうことができなくなってしまい,都営地下鉄は運航を停めてしまうだろう。
 

多くの日本の納税者には日本の行政サービスを受ける資格が無い?

 いや知らんわ屁理屈を述べるな,と思ったかもしれない。あるいは,公営の鉄道はうちの地方には無いから関係無いよ,と思ったかもしれない。では,もう一点問うてみたい。それは,あなたを含む日本の納税者は所得税を納めているだろうか,ということである。
 例えば,あなたは,「毎月の給料から所得税を天引されている」と述べるかもしれない。ただ,残念ながら,給料から天引される所得税(源泉所得税)は,あなたが納めるべき所得税ではない。ただ単に,勤め先の会社などの支払者が支払うべき税金にすぎない。最高裁判所も,以下のように述べている。

 所得税法上,源泉徴収による所得税(以下「源泉所得税」という。)について徴収・納付の義務を負う者は源泉徴収の対象となるべき所得の支払者とされ,……その納税義務は,当該所得の受給者に係る申告所得税の納税義務とは別個のものとして成立,確定し,これと並存するものであり……源泉所得税と申告所得税との各租税債務の間には同一性がなく、源泉所得税の納税に関しては、国と法律関係を有するのは支払者のみで、受給者との間には直接の法律関係を生じない
(日光貿易事件上告審判決(最判平成4年2月18日民集46巻2号77頁)*6

 上記の判示の「所得の支払者」「支払者」を会社,「受給者」を労働者と置き換えれば分かりやすい。つまり,毎月天引される所得税は,会社が支払うべき税金にすぎず,あなた自身が納めるべき所得税の額とは何の関係もないのである。したがって,天引されていることは所得税を納めていることの証左にはならない。
 ただ,給与所得を得ているのみの人であっても,源泉徴収で所得税の課税関係は終わらない。確定申告の手続が年明けにある場合があるからである。その段階で源泉徴収税額を控除したうえで所得税を納めている人は当然いる。
 しかし,確定申告をしているといっても,それで税を納めているとは限らない。なぜなら,源泉徴収された税額の方が申告で納めるべき税額よりも多い場合などの場合には,還付を受ける,すなわち所得税を払うのではなくむしろ税額を返金してもらう場合があるからである*7(所得税法122条1項)。そして,日本で確定申告をする納税者の半数超は,還付申告をしている。2018年分の統計では,申告をした納税者のうち1,306万人が還付申告をしており,確定申告で税額を納めた納税者は638万人にすぎない*8
 また,確定申告をせず,年末調整を勤務先から受ける人もかなりいる。2018年分の統計では,年末調整を受けている納税者は4,540万人である*9。しかし,年末調整も支払者に対して課される義務にすぎず(所得税法190条),源泉徴収税額よりも申告所得税額の方が多くても支払者が徴収納付をするのみであり(所得税法192条),源泉徴収税額の方が多ければ翌月以降の所得税に充当される(所得税法191条,天引額が減る)。年末調整をされていても,会社と国の間で源泉徴収税額を調整するだけであって,自分が所得税を納めていることにはならない。
 以上の最高裁が述べる法律論(会社から天引される所得税は自分が支払うべき所得税とは全く別のものである)および統計データを前提とすると*10,日本で所得税を納めていると言えるのは,確定申告をしている人のうち納税申告をしている638万人にすぎない。源泉徴収と年末調整だけを受けている人や,確定申告をしても還付を受けている人は,平易さのためにあえて乱暴な言い方をすれば,全く所得税を納めていないと言えるだろう。そして,この事実と「所得税を納めていない人には公共サービスを受ける資格が無い」という意見をあわせれば,日本で公共サービスを受ける資格があるのは,2018年は638万人に過ぎないことになる。はたしてあなたはこの中に入っているだろうか*11

おわりに

 以上,コロナウイルスの問題から,所得税と行政サービスの関係性について考えてみた。「所得税の納税は行政サービスを受ける資格の対価である」という見解があることを素材として,そのような見解は最高裁判所の判示と整合しないこと,そのような見解を前提にすると都営地下鉄が停まってしまうこと,そしてそのような見解を前提にすると日本で公共サービスを受ける資格があるのは638万人にすぎなくなってしまうことを論じた。したがって,「所得税の納税は行政サービスを受ける資格の対価である」という見解は妥当ではないように思われる。
 租税は,どんなものの対価でもない*12。一方的かつ強制的に国家や地方公共団体から徴収されるものである。いち個人の損得勘定としては,かなり不合理なものだ,と言ってしまって良いだろう。一方,公共サービスを成り立たせるなどの目的のために,大きな視点では,(国家の存在や一定規模以上の国家の活動を前提とすれば)必要なものでもある。税がそんな割り切れない存在だからこそ,私たちは,公平な税負担とは何か,どんな税制が経済活動に対して中立か,ということを真剣に考えなければならないのだろうと思う。

(2020/4/18追記)

 昨日頃から,日本に住む全ての人に,申請に基づき,10万円を給付する政策を検討している旨の報道がされている。安倍首相の昨晩の会見でも,そのように方針転換をした旨の説明があった。NHKの下記報道では,住民基本台帳へ記載されていれば,国籍等を問わずに給付する方針のようだ。
www3.nhk.or.jp
 この点,支給対象を絞るべきではないか,という議論もある。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020041700707&g=polwww.jiji.com
 本稿の議論をこの話に援用してもらっても構わない。支給対象を絞るべきかどうか,という点について,「所得税を納税していないから」支給対象から外すべきだ,という議論は妥当ではない。もっとも,10万円の給付が望ましいか,申請に基づく給付とすべきか,給付対象を住民基本台帳に記載されていることで画するべきか,などの点については,何も述べていないことに注意されたい。

*1:厚労省ウェブサイトにおけるQ&Aはこちら(pdfにつき注意)。

*2:なお,下記の記事にあるように,台東区は,税負担の有無に着目したものではない旨説明している。

*3:裁判所の裁判例情報にリンクが貼れなくなっていたので,リンクは今後貼らない。この判決は裁判所のウェブサイトから閲覧できる。

*4:金子宏『租税法[第23版]』(弘文堂,2019年)11頁,三木義一編著『よくわかる税法入門[第14版]』(ゆうひかく選書,2020年)11~20頁[奥谷健執筆部分]参照。なお,本務校の原則入構禁止措置に伴い,税法のテキストは主にこの2冊だけ持って帰ってきているので,しばらくこの2冊からの引用が目立つと思う。ご容赦いただきたい。

*5:実は,かつては,国鉄の運賃を租税と捉える考え方もあったりした。対価性に着目しない意見につき,旭川国保事件の評釈である小塚真啓「判批」法學論叢165巻2号(2009年)129~130頁参照。

*6:この判決は裁判所のウェブサイトから閲覧できる。

*7:源泉所得税と申告所得税は別個のものなのだけれど,源泉所得税の額の方が申告所得税よりも多ければ,なぜか返金をしてもらえる。不思議なようにも思うのだが,今の判例通説はそういう立場である。とはいえ,寄附金控除や医療費控除など,税金ではないものを支払って還付を受けられる例は,珍しいわけでもない。

*8:国税庁レポート2019(pdfにつき注意)71頁。

*9:平成30年分民間給与実態統計調査参照。

*10:もっとも,「源泉所得税は申告所得税とは全く別のものである」という最高裁の捉え方に,個人的には少し疑問があるし,学説上も異論は少なくない。一般的な見方としても,源泉所得税は本来支払うべき所得税の分割払いや前払いというイメージを持っている人が多いのではないかと思う。

*11:ちなみに,私は毎年還付申告をしているので,入っていない。

*12:もっとも,「租税は文明の対価である(Taxes are what we pay for a civilized society)」という,米国の最高裁判事であるHolmesが述べた有名な格言がある。このブログのタイトルも,その格言からもらっている。税が市民社会なるものの対価だとするなら,私たちは何に対して税金を払っているのだろう,ということを考えて,私はこのブログのタイトルをつけた。