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税法を勉強している藤間大順のBlogです。業績として発表したものについて書いたり,気になったニュースについて書いたり。概ね1回/月の更新を目標としています。

50,000アクセス突破記念企画「税法学執筆雑記」③ 事件の呼称

はじめに

 少し時間が空きましたが,50,000アクセス突破記念企画の第3弾として,判例・裁判例で争われた事件の呼称について書きたいと思います。後述するように事件の呼称は特につけなくても支障はないのですが,つけることがあるので,そのあたりについて書きたいと思います。

最判昭和60年3月27日の呼称について

 税法でよく議論される最高裁の判例として,昭和60年(1985年)3月27日の判決があります*1。先日発行された『租税判例百選』の第7版でも,1番目に収録されている判決です*2。下記の判決文のとおり,法の下の平等(憲法14条1項)と給与所得課税(所得税法28条など)の関係が争われた事件です。

www.courts.go.jp

 この事件ですが,『租税判例百選』では「大嶋訴訟」と呼ばれています*3。一方,「サラリーマン税金訴訟」とも呼ばれることもあります。たとえば,『憲法判例百選』では,この呼称が使われています*4
 これらの呼称について,以下で書いていきたいと思います。

事件名の呼称のパターン

 まず,統一的なものがないことからわかるように,事件の呼称については公式のものがあるわけではありません。たとえば,上述の事件の正式名称は,裁判所ウェブサイトに書かれているとおり「所得税決定処分取消請求事件」なのですが,これは所得税の決定処分を取り消すように納税者が請求した事件である,という意味しか持たず,この訴訟を特定する機能を持つわけではありません。大嶋訴訟/サラリーマン税金訴訟以外にも同名の事件はあります。
 また,事件番号というものもあります。たとえば,大嶋訴訟の上告審の事件番号は「昭和58年(オ)第300号」です。ただし,事件番号は,第一審や控訴審などの審級ごとに変わりますし,この番号でもって呼称することはあまりないだろうと思います。
 それと,最高裁判所の調査官が書いたものに事件名が記載されることはあるのですが*5,調査官解説であっても判決文の一部を為すものではないので,これも特に公式の呼称を示したものではないものと思われます。
 つまり,事件の呼称は,何か公式のものがあるわけではなくて,研究者などがその事件や判決を文章などで扱う際に使っているものが次第に定着していく,といった性質のものであろうということです。とはいえ,それぞれの人が好き勝手に呼び名を決めている(いわば十人十色の状況にある)わけではありません。判決を示すのならば裁判所名と年月日と掲載誌を書けば済むわけですから*6,呼称を付す理由は「あー,あの事件ね」と読んだり言われたりした人が想起しやすくするためであろうと思われます。したがって,一定のパターンに従って,特定しやすいように呼称が付されます。概ね,以下の2パターンで付されることが多いのではないか,と思われます。

納税者の名前で呼ぶ

 まずあるのは,納税者の名前で事件名を付すパターンです*7。上述の事件でいえば「大嶋訴訟」の方です。当該事件の原告である納税者は大嶋正先生なので,このように呼ばれるということになります。
 最近は大企業が税務訴訟を起こすことがそれなりにあるので,その場合は企業名で事件を呼ぶことが多いように思われます。たとえば,ヤフー事件*8やデンソー事件*9が挙げられるでしょうか。

トピックで呼ぶ

 もう1つあるのは,どのような問題が争われたのか,というトピックで事件名を付すパターンです。たとえば,上述の事件でいえば「サラリーマン税金訴訟」の方です。当該事件は,給与所得者,すなわちサラリーマンの税制上の取扱いというトピックについて論じた事件なので,このように呼ばれる,ということになります。
 もっとも,「トピック」というある程度漠然とした言い方をしたことからわかるように,このパターンの呼称の付し方の中にも色々なものがあるようにも思います。たとえば,サラリーマン税金訴訟は,給与所得課税という税制(税法)の問題を事件名に付すものです。一方,後述するゴルフ会員権贈与事件は,どのような取引についての課税問題が争われたのか,という,前提となる(私法上の)取引関係を事件名に付しています。
 最近の例ですと,馬券大阪事件*10がこのパターンの例として挙げられるかと思います。

いくらかの具体例

 以上のように,事件は納税者の名前かトピックで呼ばれることが多いと思われます。以下に,大嶋訴訟/サラリーマン税金訴訟以外の具体例を書いておきます。

右山事件/ゴルフ会員権贈与事件

 ゴルフ会員権の名義書換料が譲渡所得の計算上控除できるかという点が争われた,平成17年(2005年)の最高裁判決です*11。原告の名前をとって「右山事件」と呼ぶこともあれば*12,トピックから「ゴルフ会員権贈与事件」と呼ぶこともあります*13

倉敷青果荷受組合事件/(役員)債務免除益事件/クラカグループ債務免除益事件

 人格のない社団等が役員に対して債務免除を行った事件です。平成27年(2015年)に1回目の*14,平成30年(2018年)に2回目の最高裁判決が出されています*15。原告の名前から「倉敷青果荷受組合事件」と呼ばれることもあれば*16,トピックから「(役員)債務免除益事件」と呼ぶこともあります*17。どちらの要素も入れて,「クラカグループ債務免除益事件」とも呼ばれるようです*18

武富士事件/TFK事件

 これは,1つの事件に2つの呼称があるという話ではなくて,若干紛らわしい例があるという話です。税法の議論において「武富士事件」と呼ぶ場合,一般的には,消費者金融会社だった武富士の創業者一族における贈与税の課税が争われた事件のことを指します*19。ただ,武富士はその後会社更生法の適用を受けたのですが,その更生会社も税務訴訟を起こしていて*20,こちらの事件は更生会社の名前をとって「TFK事件」と呼び,武富士事件とはあまり呼びません。「武富士事件」は特に武富士という会社が納税者となった事案ではなくて,むしろ「TFK事件」が商号変更後の武富士が納税者の事案である,という少し紛らわしい話なのですが,一般的にこう呼ばれます。

補足

 以上の話に補足することを最後に書いておきます。

『税法基本講義』がかなり事件名を付してくれている

 上述のとおり,事件の呼称は,正式なものはないけれどある程度みんなが使っているものはある,というものです。判例データベースに一般的な呼称が載っている場合もあるのですが,それも限定的です。どう呼んだらいいのか迷う場面は,税法に関する文章を書いているとそれなりにあると思います。何を参照して呼称を決めたらいいのでしょうか。
 まずは,一般的な呼称については,『租税判例百選』を参照すべきかと思います。多くの研究者が関わっている,いわば「みんなが読んでいる」ものなので,一定の共通理解が示されています。

www.yuhikaku.co.jp

 ただ,『租税判例百選』も,すべての判例・裁判例が網羅されているわけではありませんし,呼称が付されていない事件もそれなりにあります。この点,谷口勢津夫先生の『税法基本講義』は,かなり多くの事件に呼称を付しています。もちろん,教科書として非常に優れた書籍であることは言うまでもないのですが,事件の一般的な呼称を知るという意味でもとても有益な書籍です。

www.koubundou.co.jp

一般的な事件名があまりない事件はどうするか

 『租税判例百選』や『税法基本講義』を読めばある程度の呼称はわかるのですが,「かなり多く」と書いたように,『税法基本講義』でも全ての訴訟に呼称が付されているわけではありません。その場合は,訴訟のことをどう呼んだらいいのでしょうか?
 この点,まずは,呼称を付さないで議論をすることが考えられます。呼称は別に付さなくても文章は書けるので,これがまずは原則になるでしょう。
 ただ,何度もその事件や判決のことが出てくる場合には,呼称を付したくなることもあると思います。その場合は,判決について呼称を付すので構わないのであれば,「(元号)○○年○○判」というような呼称が考えられます。たとえば,「令和3年最判」というようなものです。
 呼称は正式なものがあるわけではないので,独自のものを付すことも当然妨げられないと思います。ただ,上述のとおり,そもそも呼称を付すのは「あー,あの事件ね」と読む方が想起できるようにすることが目的としてあると思うので,過度に独特な,読んだ方が事件を特定できないような呼称は,付してもあまり意味はないかもしれない,と思います。

裸一貫事件

 最後に,上記の2つのパターンに属さない有名な事件として,下記の裸一貫事件を挙げておきます*21。この事件は,税負担の錯誤による財産分与の無効が争われた事件です。以前,ぱうぜトークに出演した際にも話題に出しました(こちらの記事を参照)。

www.courts.go.jp

 この事件は「裸一貫事件」と呼ばれることがあります。特に納税者にもトピックにも関わりがある呼称ではないのですが,「裸一貫から出直すことを決意し」という判示から,このように呼ばれます*22。何度も繰り返していますが,呼称は事件を想起するためにつけるものなので,このようなパワーワードがあれば,それで呼称をつけるのは望ましいのかもしれません。

おわりに

 以上,事件の呼称についてまとめてみました。結局,事件や判決を特定する方法は呼称以外にあるのであまり本質的ではないのですが,事件をどう呼んだら良いかわからない場合が生じた場合には,この記事が何か参考になれば幸いです。
 この企画について,「通達と実務」という論点でも書こうかと思っていたのですが*23,少し壮大な,論文で論じるべきテーマのようにも感じるので,ひとまずこの記事をもって企画自体を閉じたいと思います。お読みいただいた皆さま,誠にありがとうございました。今後とも当ブログを何とぞよろしくお願いいたします。

*1:最判昭和60年3月27日民集39巻2号247頁。

*2:金子宏「憲法と租税法――大嶋訴訟」中里実=佐藤英明=増井良啓=渋谷雅弘=渕圭吾編『租税判例百選[第7版]』(有斐閣,2021年)4頁。

*3:金子・前掲注(2)4頁参照。なお,6版までは「大嶋」ではなく「大島」とされていました(金子宏「憲法と租税法――大島訴訟」中里実=佐藤英明=増井良啓=渋谷雅弘編『租税判例百選[第6版]』(有斐閣,2016年)4頁参照)。原告は仕事や訴訟のうえでは「大島」を用いていましたが,原告のお墓には「大嶋」と表記されているそうです(西山由美「大島訴訟」金子宏編『租税法の発展』(有斐閣,2010年)192頁(注5)参照)。実際の訴訟においても,原告が存命中の第一審および控訴審の原告名は「大島」を用いていますが,親族が訴訟を承継した後の上告審では「大嶋」が使われています。そのため,「大嶋訴訟」も「大島訴訟」も,いずれの表記もされるものと思われます。

*4:君塚正臣「所得税の不平等――サラリーマン税金訴訟」長谷部恭男=石川健治=宍戸常寿編『憲法判例百選 Ⅰ[第7版]』(有斐閣,2019年)70頁参照。

*5:たとえば,泉徳治「サラリーマン税金訴訟大法廷判決の概要」ジュリスト837号(1985年)39頁参照。

*6:注1のような形です。むしろ,たとえば「大嶋訴訟上告審判決」とだけ書くだけでは,引用の仕方として不適切であろうと思います。

*7:なお,処分の取消訴訟の場合は納税者が原告になりますが,逋脱罪についての刑事訴訟の場合は納税者が被告人になります。後者をこちらのパターンで呼ぶ場合は(あまり具体例は思いつかないのですが),おそらく被告人の名前で呼ぶのだろうと思います。

*8:最判平成28年2月29日民集70巻2号242頁

*9:最判平成29年10月24日民集71巻8号1522頁

*10:最判平成27年3月10日刑集69巻2号434頁

*11:最判平成17年2月1日集民216号279頁

*12:酒井克彦『裁判例からみる所得税法』(大蔵財務協会,2016年)266頁参照。

*13:小塚真啓「譲渡所得における取得費の引継ぎ――ゴルフ会員権贈与事件」中里ほか・前掲注(2)92頁参照。

*14:最判平成27年10月8日集民251号1頁

*15:最判平成30年9月25日民集72巻4号317頁。なお,こちらの判決の呼び方も「差戻上告審判決」と呼ぶ人と「第二次上告審判決」と呼ぶ人に分かれます。調査官解説は「第2次上告審」と読んでいます(荒谷謙介「判解」法曹時報72巻1号(2020年)156頁参照)。

*16:奥谷健監修,黒住茂雄「役員に対する債務免除と源泉所得税 : 倉敷青果荷受組合事件」月刊税務事例51巻8号(2019年)94頁参照。こちらの増井先生のブログ記事も参照。私もこの呼び方をしています(拙著『債務免除益の課税理論』(勁草書房,2020年)参照。)。

*17:木山泰嗣「債務免除益事件の最高裁判決に含まれる諸問題」青山ビジネスロー・レビュー5巻2号(2016年)65頁参照。

*18:佐藤英明『スタンダード所得税法[第2版補正2版]』(弘文堂,2020年)441頁参照。

*19:最判平成23年2月18日集民236号71頁

*20:東京高判平成26年4月23日税資264号順号12460

*21:最判平成元年9月14日集民157号555頁。

*22:事実認定の部分なので,強いて言えばトピックによる呼称のうち取引関係についてのもの,ということになるのでしょうか。とはいえ,ちょっと他の事件の名前の付け方とは異質なように感じます。

*23:法令解釈通達は実務上の取扱いを示したものとして論じられるけれど,本当にそのように扱って良いんでしょうか,というような記事のつもりでした。