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税法を勉強している藤間大順のBlogです。業績として発表したものについて書いたり,気になったニュースについて書いたり。概ね1回/月の更新を目標としています。

22世紀も租税法律主義が残ると思う理由:成田悠輔『22世紀の民主主義』におぼえた違和感

はじめに

 この記事は,成田悠輔『22世紀の民主主義』(SB新書,2022年)における税制に関する議論について,違和感を表明するものです。以下,同書を「本書」と呼びます。

www.sbcr.jp

 まず述べておけば,私は本書を興味深く読みました。下記の記事など,以前より著者の民主主義や選挙に関する議論は読んできましたが,これらの議論の背後にある考え方を整理し,様々なアイデアを紐づけて論じていている本のように思います。選挙という仕組みは必ずしも完全に民意を汲み取るものになっていないのではないか,という関心は,説得的なもののように感じます。

globe.asahi.com

 ただ,本書における税制に関する記述には,税法を学ぶ1人の人間として違和感を覚えました。その違和感をここに書き残しておきたいと思います。

『22世紀の民主主義』における税制アルゴリズムの議論

 本書の全体的な関心は「選挙や民主主義を,放っておいても考えたり動いたりしたくなるようにできないだろうか?」(24頁)というものです。なぜこういった関心を持つべきのかなど議論全体に関することについては,ぜひご自身で読んでみてください。
 このような関心にもとづき,税制についても様々な提案がされています。たとえば,SNSなどにおける情報の流通に対する課税(コミュニケーション税)という提案は(102~104頁),とても興味深いものです。逆に,タックスヘイブンという存在から示唆を得て民主主義からの逃走を構想する議論も(131頁以下),興味深く感じました。税制に特化した議論ではないですが,「代議士や政治家は有権者に痛みを伴う即決即断や未来のための改革が苦手」(76頁)という指摘も妥当なもののように感じます。
 この記事で取り上げたいのは,税制アルゴリズムに関する議論です。「切り抜くなりパクるなりリミックスするなり自由にしてほしい」(28頁)ということですので,いささか長いかもしれませんが,以下に引用します。

 これまでは,過去の成り行きや世論の風見鶏やロビイストの陳情や予算表計算スプレッドシートなどに基づいて,政治家やパシられる官僚が寝ずの調整で税率を決めることがほとんどだった。それに対して,経済学者は数学的な経済モデルに基づいて最適な税率を計算,それを政策提言してきた。だが,どちらも忘れてアルゴリズムに税制のデザインを任せてしまうのはどうだろうか?
 そんな発想をしたSalesforce社とハーバード大学の研究チームは,人口経済を作って税制を深層強化学習アルゴリズムで決めてみた。将棋や囲碁などをプレイする人工知能にもよく使われる,試行錯誤しながら意思決定を動的に最適化していくアルゴリズムだ。すると,経済学が導く最適税制よりもさらに高性能な税制が生まれたらしい。理論も実験も交渉も必要ない。
 さらに嬉しい利点もある。税制の悩みどころは,どんな税制を設計しても節税テクを駆使して税制の穴をついてくる連中が湧いてくることだ。そういう連中にもアルゴリズムは自動的に対処してくれる。節税テクニシャンや脱税野郎たちの行動も,アルゴリズムが食べる経済統計データの中に自動的に反映されていくからだ。そのデータに最適反応していくアルゴリズムは節税テクと自動戦闘してくれる。この試みもまた,政治家も官僚も経済学者も機械で置き換えようという無意識民主主義の夢である。

(成田悠輔『22世紀の民主主義』(SB新書,2022年)208~209頁。下線は藤間。)

 まず,この引用部分全体についてはありうる議論かもしれません。今の税制は,大枠を人間が決めています。どういった税制が望ましいか,ということを自動的に決定する仕組みはある程度ありうるものなのかもしれません*1
 もっとも,上述の引用のうち下線を引いた部分には違和感を覚えました。「アルゴリズムは節税テクと自動戦闘してくれる」という部分です。この部分が,税制の設計において自動戦闘してくれるという意味であれば,つまり「なるべく節税テクが生じないような税制をアルゴリズムが構想して,そのような税制が政治家や官僚によって法律として具体化されて課税が行われるだろう」という意味なのであれば,上述のとおりそれはありうる道かもしれないと思います*2。もっとも,本書全体の論旨から言えば,この部分はよりラディカルなことを述べているのではないかと思います。つまり,「節税テクが生じた瞬間に,アルゴリズムがそれを検知し,政治家や官僚の関与抜きで,つまり法律への明記抜きにそれを防ぐように課税が行われる」ということを述べているのではないか,ということです。
 以下では,上述の議論を後者のように解した場合,つまり,「アルゴリズムによる課税が(政治家や官僚が決める)法律による課税を置き換えることにより,不合理な税負担の軽減を無くすべきだ」とこの新書が述べているとした場合に,その提案には違和感をおぼえるということを述べます。

租税法律主義と租税回避の緊張関係

 なぜ,今の日本では,課税は政治家や官僚が関与して行われているのでしょうか。また,そのことと,「節税テク」はどう関わるのでしょうか。本書が問題視している点は妥当であることを,まずは以下に述べます。

用語の整理:租税法律主義

 日本では,課税は法律の根拠をもって行われています。このことを表しているのが,憲法84条が定める租税法律主義です。以下に引用しましょう。

あらたに租税を課し,又は現行の租税を変更するには,法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

 また,憲法30条が「法律の定めるところにより」国民が納税の義務を負う,としていることも,租税法律主義を定めたものと解されています。
 法律は「唯一の立法機関である」国会において(憲法41条),「全国民を代表する選挙された議員」(憲法43条1項)の議決により,つまり政治家が決定権を持つ仕組みによって決められています。また,法律を実際に執行する際には,内閣が持つ行政権(憲法65条)の指揮下において,官僚や公務員が関与しています。以上のように,建前の話としても政治家や官僚が関与して課税というものは行われていますし,本音というか実態としても,税に関する法律を作る(毎年の税制改正の)際には財務省主税局の官僚が立法を担当しています。
 以上のように,政治家や官僚が関与して税制が設計されていることは間違いがありません。

用語の整理:租税回避

 次に,本書が問題視している「節税テク」についてですが,これは講学上の「租税回避」を指すものと解すべきではないか,と思われます。以下にそのことを書きます。
 税金を安くしたい,と考えるのは,合理的な人間ならばある程度当たり前のことです。なぜならば,租税とは「特別の給付に対する反対給付としてでなく」徴収されるものであり*3,非対価性という性質を持つからです。つまり,租税は何かモノやサービスと紐づいて(モノやサービスの対価として)支払うものではないので,払ってもあまり良いことはありません。租税をどんなに多く支払っても,受けることができる公共サービスが増えることはないでしょう。
 したがって,税金を安くしようとすること,これを「税負担の軽減」と言いますが,これ自体は合理的な,誰しもが持つ感覚ですから,このこと自体が何か問題であるわけではありません。ただし,だからといって,全ての税負担の軽減が許容されるべきだとも考えづらいところがあります。まず,たとえば,本来税金を支払うべきはずなのにそれを隠したりすること,つまり違法な税負担の軽減は,発覚すれば当然に課税の対象となりますし,重加算税という重いペナルティや(国税通則法68条),場合によっては懲役刑や罰金刑の対象になることすらあります(所得税法238条1項など)。このような違法な税負担の軽減のことを,講学上「脱税」と呼びます。
 それでは,適法な税負担の軽減,つまり脱税にならない税負担の軽減であればそれは問題ではない,と言うべきでしょうか。その時点において違法ではないならば,課税の対象となったりペナルティの対象となったりすることはないかもしれませんが,しかし,不当な,つまりあまりにも「ズルい」やり方での税負担の軽減は,今後は課税対象としていくべきではないか,という議論の対象にはなりえます。このように,適法なのだけれども不当な税負担の軽減のことを,講学上「租税回避」と呼んで*4,適法かつ正当な税負担の軽減である「節税」と区別しています。
 本書が述べる「節税テク」は,おそらくズルい,つまり不当なものを指しているのではないか,と思います。したがって,この記事では,租税回避のことを指しているものと解して議論を進めたいと思います。

租税法律主義と租税回避のいたちごっこ

 租税法律主義の下,法律にもとづいて課税を行うという前提に立つ場合には,租税回避を規制する,つまり租税回避で軽減しようとした税負担を軽減させないようにするためには,法律の根拠が必要になります。このような,租税回避を規制することを「否認」と呼びます*5。租税回避の否認には法律の根拠が必要である,ということです。
 もっとも,それまでは適法だった租税回避を新たな法律によって否認した場合にはどうなるか,というと,これは単純で,また別の租税回避が生まれます。なぜなら,新たな法律の適用要件は明示されているわけですから,それを回避すれば,税負担を適法に軽減することはまだ可能だからです。そして,新たな租税回避を否認するためにさらに新しい法律ができるわけですが,さらにそれをかいくぐるさらに新しい租税回避が生まれて…ということで,法律による租税回避の否認と租税回避は「いたちごっこ」を繰り返すことになります。
 また,最近では,このようないたちごっこを防ぐために,「全ての租税回避を国は否認できる」というような規定,いわゆるGAARを導入する国が増えてきています。ただし,諸外国の経験を参照するとGAARを導入したからといって租税回避を実効的に防ぐことはできない(つまり,いたちごっこは続く)のではないか,との議論が既にされているところですし*6,少なくとも,日本ではGAARは導入されていません。
 以上のように,租税法律主義の下で租税回避を否認しようとすると,租税回避を否認する法律を作る必要があり,その法律を回避する租税回避が生まれ…ということで,租税回避,本書のいう「節税テク」はどこまで行っても無くなりません。このような意味で,本書が「どんな税制を設計しても節税テクを駆使して税制の穴をついてくる連中が湧いてくる」と言っているのは,妥当性を持つ議論だと考えます。

アルゴリズムは租税回避を打ち負かすことができるか?

 以上のように,法律の根拠をもって課税することにより租税回避が生まれる,本書の言い方に添うならば政治家や官僚が関与して税制を設計することによって節税テクが生まれてしまう,という関心自体は,税法学でも一般的に議論されるような妥当なものだと思います。それでは,租税回避と「自動格闘」するアルゴリズムでこれに対処すべきだ,という本書の議論全体も妥当なのでしょうか。

打ち負かすことはできるのかもしれない

 まず,そもそも,租税回避と自動格闘するアルゴリズム,というものは,本当に実現可能なのでしょうか。
 私はコンピュータサイエンスに詳しいわけではないので,この点はよくわかりません。ただ,不可能ではないのかな,という感想は持ちます。たとえば,一時期,航空機リースや船舶リースという租税回避スキームが行われて訴訟にまで発展し*7,結果として,そのような租税回避を否認する規定が設けられました(租税特別措置法41条の4の2,67条の12)。このように租税回避スキームを一定数の納税者が利用する事態が起きたときに,そのような傾向を自動的に検知し,法律の根拠なくそれを否認するような課税上の仕組みというものは構想できるのかもしれません。
 さらに,この点については個人的には疑問を持ちますが,本書では「不当」という価値判断を組み込んだアルゴリズムというものすら構想しているのかもしれません。仮にこのようなものが存在しうるのであれば,まさに,「自動格闘」というものが可能になります。つまり,ある納税者が租税回避を行い,軽減された金額のみを納税した場合には,その軽減が不当であることを自動的に検知して否認する仕組みということです。本書は,ここまで考えているのかもしれないと思います。
 本書がどの程度の「自動格闘」を想定しているかはよくわからないのですが,以上のように,租税法律主義を放棄してアルゴリズムによる課税を行うとした場合には,租税回避は減少するか,または完全に根絶することが考えられるかもしれません。

租税回避を根絶することは本当に望ましいのか?

 もっとも,果たして,租税回避に対して法律の根拠抜きに対処するのは望ましいのでしょうか。
 この点は,そもそもなぜ法律に基づいて課税が行われているのか,つまり,なぜ租税法律主義が設けられているのか,という点まで遡って考える必要があるでしょう。法律にもとづく課税というアイデアは,イギリスの大憲章(マグナ・カルタ)やアメリカ独立戦争における「代表なくして課税なし」というスローガンまで遡ることができるものです。このアイデアは,国王による恣意的な課税に対して市民が抵抗するなかで生まれ,現在まで受け継がれてきています。そして,法律によって課税が行われ,国家による恣意的な課税が防がれることによって,納税者は「どういった場合に,どのような税金がどれだけ課されるか,法律に基づいて事前に予測できる」*8ようになります。
 もう少し言葉を柔らかくして言いましょう。たとえば,ある人が,30万円の(税金以外の)コストをかけて,100万円のリターンが得られるビジネスをしようか考えているとします。このとき,リターンに対する税金が0であれば,トータルでみて70万円の利益を得られますから,(他にもっと魅力的な選択肢がなければ)この人はおそらくビジネスをすることになるでしょう。一方,税金が80万円かかるなら,トータルで見て10万円の損になりますから,この人はビジネスをしないでしょう。では,税金の金額がわからないとするとどうなるか,というと,この人は,ビジネスをすべきかどうなのか判断がつきません。したがって,税制が経済活動を阻害することに繋がりかねません。こういった事態を防ぐために,租税法律主義というものが設けられているのです。そして,まさに,このように「法律を読めば税負担が予測できる」ことによって,租税回避が生まれています。
 本書の提案に戻ります。本書の提案は,政治家や官僚が関与せずに,つまり法律によらずに,アルゴリズムによって課税を行うことで租税回避を防ぐべきではないか,というものでした。上述のとおりこのような提案は可能なものなのかもしれませんが,しかし,ある取引をした場合に,アルゴリズムが最終的に計算結果を導き出すまで税負担を予測できないとすると,上述のとおり経済活動を税制が阻害しかねません。租税法律主義が何とか保ってきた安定した経済活動と課税の緊張関係が,一気に崩れてしまうことになります。一方,一定程度税負担が予測可能なアルゴリズムというものもありうるのかもしれません。しかし,そういったものでは,租税回避を防ぐことはできません。法律に従って行われてきた租税回避が,アルゴリズムに従って行われるようになるだけです。租税回避の難易度は多少変わるかもしれませんが,大手の会計事務所が関与している納税者はおそらく租税回避を続けられるでしょうし,結局のところ,「自動格闘」とは程遠い話にしかならないでしょう。
 このように,租税回避を完全に防ごうとすれば租税法律主義が大切に守ってきた納税者の予測可能性が守られないことになってしまいますし,逆に,納税者の予測可能性を保とうとすれば租税回避を完全に防ぐことはできません。したがって,租税回避を防ぐために租税法律主義を放棄すべきだとは,少なくとも本書の議論のみをもっては私は考えられませんでした。本書は全体的に興味深い本でしたが,ただ,上述した部分の議論のラフさには違和感をおぼえました。

おわりに

 この記事では,成田悠輔『22世紀の民主主義』で提案されていた「アルゴリズムを用いた課税による租税回避への対処」という提案に対して違和感を表明しました。本書の提案を理解しきれている自信がないので,理論的な反論というより違和感の表明には留まりましたが,ただ,租税法律主義と租税回避に関する基本的な議論を整理したうえで,私が感じた違和感を述べることはできたのではないか,と信じています。
 最後に,では対案はあるのか,という点について述べます。私は租税回避まわりは専門ではないので,私が考えた対案はありません。ただし,税法学では,租税回避の否認につき様々な議論が現在行われています。途中で出てきたGAARの導入の是非という論点がまさに現在の主戦場ですが*9,GAARを導入すべきではないという論者も,様々な新たな提案をしています*10。本書の提案とこれらの税法学における先行業績を読み比べて,ぜひどの見解が説得的か考えてもらえたら嬉しいな,と思います。

 ブログに今年書く記事はこれが最後だろうと思います。皆さま,良いお年をお迎えください。

*1:ただし,今の税制は,公平に立法されるべきだとされます(税制改革法3条)。そして,何が公平で何が不公平か,ということは,個人の価値観に一定程度依存する面が否めません。こういった価値観まで組み込んで自動化することができるのか,という点は,私にはわかりません。むしろ,アルゴリズムによる税制の設計をするためには,租税原則を作り替える必要があるかもしれない,とは思います。

*2:たとえば,岡村忠生「租税手続のデジタル化と法的課題」ジュリスト1556号(2021年)58頁では,課税の自動化に資するような税制を構想することが議論されています。

*3:旭川市国民保険条例事件上告審判決(最判平成18年3月1日民集60巻2号587頁)。この点を論じたこのブログの記事として,こちらを参照。

*4:実は,そもそも「租税回避」とは何か,という点からややこしい議論がありうるのですが,ここでは最近の議論に従って適法だけれども不当な税負担の軽減のことを「租税回避」と呼ぶことにして話を進めています。本部勝大『租税回避と法』(名古屋大学出版会,2020年)7~10頁,谷口勢津夫『税法の基礎理論』(清文社,2021年)190~248頁参照。

*5:否認の定義についても,特に「引き直すべき行為を観念すべきか」という点など厳密に論じるとややこしいのですが(谷口・前掲注(4)249~391頁参照),ここでは「税負担の軽減を認めないこと」という少し曖昧な表現でご勘弁いただければと思います。

*6:本部・前掲注(4)279~282頁参照。渕圭吾「租税法律主義と『遡及立法』」中里実=藤谷武史編著『租税法律主義の総合的検討』(有斐閣,2021年)101~102頁[初出:2017年],長戸貴之「『分野を限定しない一般的否認規定』と租税法律主義」中里=藤谷・同122~123頁[初出:2017年]も参照。

*7:名古屋地判平成16年10月28日判タ1204号224頁名古屋地判平成17年12月21日判タ1270号248頁

*8:三木義一編著『よくわかる税法入門[第16版]』(有斐閣,2022年)16頁[奥谷健執筆部分]。金子宏『租税法[第24版]』(弘文堂,2021年)79~80頁も参照。

*9:GAARを導入すべきだと論じる代表的な見解としては,森信茂樹「BEPSと租税回避への対応」フィナンシャル・レビュー126号(2016年)5頁参照。

*10:前掲注(6)参照。